ぐつぐつダイアリー

シチューのようなブログを目指してます

V

クリスマスは例年通り何も特別なことはせずに終わりました。

 

「Vにしか出来ないこと」ってV自身もそうで無い側も重要視しているコンセプトで、自分もそれについて少し考えたことがあります。でもVの現状を見るとそんなことを意識しているようには見えなくて、自分も元からそんなことどうだっていいと思っていたので考えなくなりました。

Vにしか出来ないことっていうのは極論無いというか。勿論0では無いと思います。分かりやすいものだとお天気キャスターみたいなことをしている(あまり詳しく無いので馬鹿にしてるように見えたらすいません)Vもいるっていうのは知ってますし、それも昔なら考えられないことですよね。

でもそれってVにしか出来ないって言うのとはちょっと違うのかなと。今まで人間がやってたことをVも出来るようになる、これが正しい。人間が作っている以上、元となるのも人間なのでVが元を超えたことを出来るようになるってことはまあ無いですよね。アンドロイドと違って現状中には人間がいるわけだし。

自分が大事だと思うのは「人間では難しいけど、Vならやりやすくなること」だと思います。にじさんじネット流行語大賞に選ばれたやつ見ました?普通にすごいことですよね。これほど流行ってるのって勿論中身の面白さとか人としての魅力、斬新さみたいなものもあると思うんですけど、それって生身の人間じゃ絶対に出来なかったことだと思います。

生身の人間がゲームの配信して、頻繁に同業者とコラボして、歌とかも出して…昔ニコニコ動画でよく見られた光景で、当時は流行ってたし今でもそれで成功してる人はいると思います。でもそれだと自分と同じ人間っていう面が気になる人が絶対にいて、どこかコメントにトゲがあったり、同業者とのちょっとした絡みでくだらない騒ぎになったりってことが絶対に避けられないし、目に見えるところにそういうものが出てきちゃうと思うんですよ。

勿論Vでも上記の問題が起きてるのは理解していますが、目に見えるところでは「キャラクター」としてのVを応援している人しかいなくて、批判する人は暗いところに籠らないといけないようなコンテンツにとっては良い状態が出来てると思います。

もう一つ個人的に一番大きな違いだと思ったのが、生身の人の配信と比べた際にVは成長を楽しみやすいです。これがなんでなのかは全く分からなくて、もしかしたら自分だけなのかもしれません。

Youtubeに登録者数という分かりやすい指標があることや、人との関係性のように徐々に移ろいゆくものを見られること(実写でも可能だがそういった団体が自分の知る限りではない)、キャラクターへの感情移入は今までの経験上慣れていること(要はオタクだから)あたりの理由が浮かびますが、どれも取ってつけたようなものです。自分がVを好む理由の一番大きい部分なので、これを言葉にするまではVを見るのをやめないと思います。